RRC と RRT について
1980〜1990年代に模型店ラビットのラジコン常連客の集まりとして、
RRC = ラビット・レーシング・クラブ
RRT = ラビット・レーシング・チーム
の2つが存在しました。
RRCは、毎月1回のレース開催・運営を目的とした集まりでした。
大人から子供まで多くの方々が協力し参加されていました。
このレースは毎月ラジコン雑誌に開催告知・レース結果が掲載され、遠方からの参加者も多く
1980〜1990年代の当時としては有名なローカルレースのひとつだったと言えます。
また、JMRCA(日本モデルラジオコントロールカー協会)が主催する全日本選手権の予選大会など
本格レースも行うクラブでした。
RRTはそのRRCのメンバーの中から、全日本選手権参戦を目指す精鋭チームであり、
FF車両の開発製作も行うチームです。
ラビットFF車両と、過去から現在までの活動について
かつてFFの代名詞とされたオフロード車はいくつかありました。
基本的には 製作者 = 操縦者、または操縦者が別人であった場合も制作者の名前が
そのまま車両名として使われるパターン ( 例えば、神田氏が作る神田FFなど ) が一般的。
これは FF車両が自作中心の文化だったためです。
それらに対し、ラビットのFFにつきましては、「 市販キット 」 と 「 チーム製作マシン 」 の
2つの独自文化がありました。
市販キットの RSシリーズは、雑誌などで通販広告も掲載していたためラビットの市販品FFとして有名。
主な市販モデルとして、RS−1、RS−2、RS−3、RS−4があります。
RS−1 … AYKのオフロード車パーツを流用したモデル
RS−2 … 京商アルティマギヤボックスとAYKの足回りを使ったモデル
RS−3 … 京商オプティマミッドのギヤボックスとカーボンプレートのリヤ足を持つモデル
RS−4 … オリジナルギヤボックス仕様のモデル
市販品ということもあり、お店の依頼としてFFを作る製作者と、お店との契約によって
レース参加するプロドライバーという構成で当時活動していました。
ちなみに「RS」は、「ラビットスペシャル」と解釈されるのが一般的ですが
本当は製作を担当していた人のイニシャルです。( R.S氏が作ったFF、本人談 )
なので、これも車名的には上記の「製作者 → そのまま車両名になるパターン」 です。
そして、ラビットにはもうひとつの主流があり、O氏と数名のメンバーが中心となって車両開発し、
全日本選手権参戦を行う ラビットレーシングチーム によるFF車両がありました。
雑誌等で有名だったのは市販品のRSシリーズですが、1980年代末から1990年代にかけて
実際に予選を含む全日本選手権へ多くの選手を送り込み、ファイナルに残るなどレース成果を
多く上げてきたのは、こちらのラビットレーシングチームによるFF車両がメインです。
ラジコン界の重鎮・富田直美氏も1990年代にラビットレーシングチームのFF車両で全日本選手権に参戦したり、
現在、雑誌等でも活躍中のヨコモ社・海野幸次郎選手(ラジコンの神と呼ばれるヨコモ社・広坂正美氏のメカニック
としても有名)もラビットレーシングチーム出身者で、学生時代にはラビットレーシングチーム FF車両で
全日本選手権に参戦しておりました。
オフロードラジコン全盛期の主なモデルとして以下のモデルがあります。
ただし、下記の名称はチーム内での通称であり、外部の方々からはどれも「ラビットのチームのFF車 」という
認識だったと思われます。
ジョナサンスペシャル … ラビットレーシングチームの会合場所だった某ファミレスにちなんで命名されたマシン
ジョナサンMk−2 … ジョナスペ進化型
ALEXシリーズ … オプティマミッドのギヤボックスを最初に搭載したマシン
RS−3もこのマシンを参考にしてオプティマミッドのギヤボックスを採用
F−91 … アソシのステルスミッション搭載
90年代の全日本選手権で何度も決勝戦に残った伝説のマシンです
V−94 … 3速オートマチック変速ミッションを持ち、ラジコン技術誌94年3月号に掲載されました
フロント駆動ですが、モーターが車両の中心位置に搭載されたミッドシップマシン
1990年代後半からのオフロードラジコンブームの衰退と共に、模型店ラビットも閉店。。。
RRCはお店と共に無くなりましたが、ラビットレーシングチームメンバーはその後も各自ラジコン活動を継続。
2008年、久々に全日本選手権に挑戦するため過去の主要メンバーを集め、新たに製作したFF車両で
一次予選・流山トントンランド、二次予選・谷田部アリーナを通過し全日本選手権の本戦出場権を得ましたが
他にFF参加者が居ない状態でしたので、本戦出場は辞退。
よくよく考えてみたところ予選は四輪駆動車と混走ですが、本戦レギュレーションではFFクラス。
この時点で他のFF参加者が居ない → 戦うべき他車が居ない?と推測し本戦は辞退することを選択。
現代の四輪駆動車と混走しても結果が残せる車両であったことに満足し、これ以降はFF車普及を
活動目的としています。